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映画『 WE ARE X 』に出演した X JAPAN
元プロデューサーが描くX初期の感動ヒストリー
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[著者 津田直士からのメッセージ]
この本には、X(現X JAPAN)の初期に、メンバーと共に熱い時間を過ごした僕の記憶がたくさん詰まっています。HIDE、TAIJI、PATA、TOSHI、YOSHIKIの、命懸けで前進する姿を見て下さい。僕が、『WE ARE X』で話した言葉のさらに奥深い部分もわかってもらえると思います。

「すべての始まり」
〜エックスという青春
元ソニー・ミュージックエンターテインメント プロデューサー
津田直士 著

東邦出版 2009年6月5日 第2版1刷発行

「すべての始まり」と『WE ARE X』
「すべての始まり」と 映画『 WE ARE X 』

 1987年秋、ソニーミュージックの新人発掘担当だった著者の津田直士は、インディーズバンドとして活動していたX(現X JAPAN)のメンバーと出会い、Xというバンドの限りない可能性に気づいた。
 早速ソニーミュージック内のプロデューサーやディレクターにプレゼンしたが、その可能性を理解する人間は誰ひとりとしていなかった。
 そこで津田は一人でメンバーと会話を重ね、ライブに足を運び、Xの未来を描き始めた。
 津田には、Xがただ過激なだけのバンドではなく、その音楽性とメンバーの人間的な魅力によって日本一美しいバンドに進化すれば、100万枚アーティストになれる、と確信したからだ。
 YOSHIKIと2人で会い、その殺気と驚くほど高い志に深く感動した津田は、『YOSHIKIには100年以上残る名曲を生むことのできる、限られた才能がある』とYOSHIKIに熱く語り、Xのプロデュースを手がける決意をYOSHIKIに伝えた。
 やがて人事異動で全く新しいセクションに移った津田は、全国のライブハウスツアーをメンバーと共にしながら、東京ドーム/100万枚という目標へのスタートを切った・・・。

 

 「すべての始まり」には、インディーズ時代のXとの出会いから、津田がソニーミュージックの中で異例ずくめのやり方を貫き通し、周りのあらゆる偏見や誤解と闘い、メンバーを深く信じ、愛し、共に泣き、笑いながら、東京ドームへの道を歩んでいく様子が、克明に描かれている。

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 2015年初夏、津田は都内の撮影スタジオでスティーブン・キジャック監督と向かい合っていた。
 映画『WE ARE X』のインタビュー撮影だった。
 キジャック自身が直接尋ねる質問に、ひとつひとつていねいに、そして熱い想いを込めて答えているうち、津田はキジャックの質問がとても的を射ていることに気づき、感心した。
 Xというバンドのことを、メンバーのことを、そして壮絶なバンドの歴史と、それを長い年月支え続けてきたファンつまり運命共同体のことを、キジャックが深く理解していることに津田は感動していた。
 キジャックの質問のいくつかは、この「すべての始まり」に書いてあることについてだった。
 津田は、自分がXという大切なバンドと、あの頃どのように過ごしていたのか、Xというバンドに何をしてきたのか、といったことを、キジャックが「すべての始まり」をもとに深く理解上でインタビューしてくれたことに感謝した。

 

 2017年2月23日、プレミア試写会に招かれて映画『WE ARE X』を観た津田は、その深さと凄さ、そして美しさに圧倒された。『WE ARE X』は、『生きた映画』だった。
 そこには、YOSHIKIを始め、メンバーの人生とファンの人生が、生きたまま刻まれていた。
 映画の中で生きているメンバーの姿に何度も泣きながら、津田はこの素晴らしい映画に少しでも貢献できたことに深く幸せを感じた。そしてまた、メンバーと共に命懸けで闘っていたあの頃の自分が全く間違っていなかったことを、映画に教えられた気がした。
 悲しみも苦しみも消えることはないけれど、扉を開ければその先に未来はある・・・そう呟くYOSHIKIが、X JAPANの輝く未来を創り続けていくことに希望を感じ、これからも世界中でファンが増えていくことを確信した。

著者紹介
著者紹介
津田直士 (作曲家/音楽プロデューサー)

X JAPAN(当時はX)ソニーミュージック在籍時プロデューサー。

「BLUE BLOOD」「Jealousy」「ART OF LIFE」のCo Producer。

これらの作品で楽曲やバンド、メンバーの魅力を綴った、自筆のライナーノーツがファンの間では有名。

音楽家でもある能力を活かしてプロデュースを務めながら、「文章を書かない作家」として「Xの物語」を胸に刻んでいた経験を元に、当時の大切な記憶を綴った本著「すべての始まり」を2009年に上梓。

【プロフィール】

小4の時、バッハの「小フーガ・ト短調」を聴き音楽に目覚め、中2でピアノを触っているうちに “音の謎” が解けて突然ピアノが弾けるようになり、作曲を始める。
大学在学中よりプロ・ミュージシャン活動を始め、

'85年よりSonyMusicのディレクターとしてX(現 X JAPAN)、大貫亜美(Puffy)を始め、数々のアーティストをプロデュース。

‘03年よりフリーの作曲家/音楽プロデューサーとして活動。
牧野由依(Epic/Sony)や臼澤みさき(TEICHIKU ECORDS)、
アニメ『BLEACH』のキャラソン、 ION化粧品のCM音楽など、多くの作品を手がける。
本著を始め、moraの音楽記事、ニコニコチャンネルのブロマガなど
連載記事の執筆、Sony Musicの音楽講座「ソニアカ」の講義といった、文化的な活動も行う。

2016年に音楽ユニット“ツダミア”を結成、その後「I.o.You」とユニット名を変更し、精力的な活動を行っている。

「すべての始まり」の内容
「すべての始まり」の内容紹介
ー  立ち読み ー

100年残る音楽、100年残る曲。


それを生み出す事のできるアーティスト。


そんなアーティストを、僕は手がけたかった。


まだインディーズの、派手なだけのバンド、と思われているエックスだけど、


大丈夫。エックスは100年残るアーティストになる。

 まえがき

 熱い毎日だった。

 悔しくて、負けたくなくて、闘ってばかりの毎日だった。

 迷いは、なかった。

 絆は強かったし、仲間もいた。 

 目標があって、闘う相手も知っていた。

 そして何より、闘った分だけ前に進んでいるのがわかった。

 だけど、日々は叩きのめされる事の連続だった。 

 「大丈夫。」 

 この言葉を、何度繰り返したことだろう。

 本当は、もうだめだ、と思っていても、大丈夫。

 前がまったく見えなくなっても、大丈夫。

 この言葉に、魔法のような力があった理由。

 それは、「たった一つ」だったからだと思う。

 たった一つの夢を手にするために。

 たった一つのやり方で。

 たった一つのバンドが、

 たった一つの闘いをしていた。

 5人だけど、たった一つになって。

 

 


 プロローグ


  エックスの現場を離れて、5年以上経ったある日のことだった。
 ソニーミュージックのプロデューサーだった僕に、デスクの子が「津田さん、YOSHIKIさんという方からのお電話みたいです」と告げた。
 (えっ、YOSHIKI!?突然何だろう?)
 驚いて電話を取ると、いかにも国際電話らしい独特の音質で、「津田さんでしょうか。少々お待ち下さい。YOSHIKIさんと代わります。」という声がして、しばらく無音になった。やがて接続音がして、5年ぶりの懐かしい声が聞こえてきた。
 「津田さん?YOSHIKIです。」

 「わぁ、よっちゃん、久しぶり。元気?」

 「元気です。津田さん、解散の話、知ってますか?」 YOSHIKIらしい、単刀直入な切り出し方だった。
 現場を離れてから5年も経ち、僕はX JAPANについて疎くなっていた。
 プロデュースする音楽のジャンルも、仕事のやり方も、そしてソニーミュージック内のセクションや立場も、エックスをやっていた頃とは、かなり変化していたからだ。しかし、そんな僕でも、さすがにX JAPANが解散する、という情報は、報道から得ていた。
 「知ってる。すごくびっくりした。」

「そうですか。ちょっと津田さんの意見、聞かせてもらっていいですか?」

そう言って、YOSHIKIは解散に関係する、副次的ないくつかの点について、僕の意見を尋ねた。

 おそらく、僕も含めてX JAPANに関係してきた何人かの、参考意見を確認しているところなのだろう。

 責任感が強いYOSHIKIは、大事な局面になると、必ず多くの人の意見を聞く。あらゆる情報をしっかり確認した上で、最終的に一人で、きっぱり決断を下す。それが YOSHIKIのリーダーらしいところだった。
 そこで僕は、実は最近のX JAPANについて自分はあまり詳しくない、という前提を伝えた上で、僕なりの意見を話した。
 それは、とてもシンプルなものだった。 僕が気にしたのは、たった一つだったからだ。

 それは、『ファンにどう伝わるか』 ということだった。
 

 「なるほど。わかりました。」きりっとした声でYOSHIKIが言った。

 リーダーらしい時のYOSHIKIの声だな、そう思い、僕は懐かしくなった。

 「よっちゃん、体、気をつけてね」

 「ありがとうございました。津田さんも気をつけて」
 国際電話は切れた。
 X JAPANの解散という事実が、急に現実味を帯びて迫って来た。

 もしかしたら、僕は意図的にこの話題から気をそらしていたのかも知れない・・・。


 現場を離れてしまった僕にとって、X JAPANの解散にまつわる色々な事は、背景が 分からない事ばかりだった。
それに、X JAPAN の重要な事について、YOSHIKIやHIDEが間違った判断を下すはずはない。
ただ、僕が気にしたのは、ファンの事だった。『X JAPANの解散』 は、ファンに正しく伝わるのだろうか?

 (解散・・・。 ファン・・・。)  

 僕は席を立ち、窓に向かった。  

 8階だから、窓からは景色が見渡せる。  

 空はどんより曇っていた。  

 青山の街並みが、いつもより無機質に見える。  

 

 突然、僕は、青空が見たくなった。  

 抜けるような、青い空が見たい・・・。  

 そして、笑顔・・・。  

 ああ・・・。  僕は思い出した。  

 そういえば、笑顔がたくさんあったな。 


 TOSHIの、PATAの、そしてHIDEの笑顔・・・。

 YOSHIKIの笑顔、それから、TAIJIの笑顔・・・。

 あの、懐かしい頃のエックス。

 エックスの昔の記憶をたどると、笑顔ばかりが浮かぶ。  

 

 でも、なぜだろう。  

 命がけで、必死だったのにな。  

 悔しくて、よく泣いていたのにな。  

 絶対に負けない、って叫んでいたのにな。  

 なのに、思い出すのはなぜか、笑顔なんだよな・・・。

 

 何でなんだろう。

CONTENTS

まえがき

プロローグ

オーディション

赤ちゃんオーラ

人を惹きつけるバンド

育成アーティスト賞

真紅の血

育成賞の理由

初めてのライブ

10万枚か100万枚か

エックスの変化

佐藤部長

新しいセクション

酒と喧嘩と武勇伝

YOSHIKIの不思議

組み合わせの妙

奇妙な場面

YOSHIKIと作曲

TOSHI

共闘の始まり

​進化するライブ

ソニーミュージックとの契約

プロジェクトシート

音楽合宿

UFOの夜

ENDLESS RAIN

立つベッド

京都スポーツバレーライブ

4つのパターン

BLUE BLOODのレコーディング

​HIDEの部屋

​にんじんりんごジュース

不気味な声

共通の耳

終わらないレコーディング
発売決定会議

BLUE BLOODの完成

春の誓い

日比谷野音ライブ

PATA

パリ

脅威の存在

HIDE

新たな問題

TAIJI

YOSHIKIの孤独

復活ライブ

忙しい日々

熱い夜

HIDEの帽子

TOSHIの意味

エピローグ

あとがき

​ライナーノーツ

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